人気ブログランキング | 話題のタグを見る

【映画】河童のクゥと夏休み  

【映画】河童のクゥと夏休み_d0057574_22561669.jpg■状況
MOVIX伊勢崎にてサービスデー価格で観賞
■動機
どうやら評判が良いようなので
■感想
舐めてました。これはいい映画です

■あらすじ
夏休みを目前にしたとある日、康一は学校帰りに変わった石を拾う。家に持ち帰り石を洗っていると中から子供の河童が現れた。河童はクゥと名づけられ康一の家の家族として育てられる。




■コメント
健全な子供向け映画の中に巧妙に隠された、社会批判にも似たメッセージに脱帽。
おそらく子供が見た映画と大人が見た映画では、残るシーンがまったく違う別物映画になるのではないだろうか。

テーマは多い。
イジメ問題、環境問題、マスコミの醜悪、友情と青春などなど。
絞り込んだほうがよかったのか、このままで良かったのかはわからない。
ただ、どんなことに対しても、押し付けがましくなることもなく手を抜くことない。
このバランス感覚がこの映画の面白さを支えている。

子供が見れば、河童のクゥと触れ合ったひと夏の物語のように見えると思う。
クゥに対する家族の反応は様々で面白い。
家族の反応とは大抵そんなもんだろう。あまりにもリアルで面白い。
特に妹。最初はどうもこうも好きになれなかったのだが、後半では愛すべき家族の一員のように見えているから不思議なものだ。

このクゥを扱う家族の反応はマスコミにクゥの存在が知れ渡ったあたりから激変する。


話は飛ぶが、マスコミの動物に対する扱いにいつも疑問を感じている。
迷い込んだアザラシや直立するレッサーパンダなど、だからどうだというのだ、それを見せることに何の意味があるのか、と正直ウンザリすること多々。
同じ動物ものなら今年は白鳥が来ないなどのニュースの方がもっと深刻なのではないか。

またそれに乗せられる人達にも激しく疑問を感じる人間。
考えなしにカワイイなどといって写真を撮ったりする人間達をキモチワルイと思うこと多々。
※言ってしまえば、フェリー上からウミネコの餌を撒く人間と、金をバラ撒いて「這いつくばって拾え」と言う人間と、どこが違うのか私にはわからない。

この映画はマスコミに対するこのキモチ悪さをうまい事再現している。
ターゲットをねらうスナイパーの如く常に監視を解かないカメラマン、どこからともなく現れる記者陣、興味本位で集まる一般市民、子供たちによる「クゥちゃ~ん」の掛け声、"LOVE"の立て札、どれもこれも気持ち悪い。
主人公家族はマスコミの被害者として、困惑しつつも徐々に憔悴していく。
河童のクゥという非現実から、マスコミを通して現実に戻されたときに父がクゥに見せた表情。台詞もモノローグもないシーンだが確実に何を考えているかが判ってしまった。それは寧ろ、自分がそういう大人になってしまったという事の裏返しではないだろうか?そして当然それは別の次元でクゥにも伝わる。後々考えれば恐ろしく残酷なシーンだ。
そんな中、年頃の康一だけが"テレビ"という事に浮かれ続ける。かつて子供だった者には必ずしも身に覚えのある感覚。それがクゥを追い詰め傷つけているということが今現在子供である康一には判らない。
絶妙。
スポンサーとしてマスコミ関係がいくつかの関わっているのにも関わらず、この部分の出来のよさには正直驚いた。


持つものと持たざるものの確執と嫉妬、なかなか素直になれない思春期の心、怒らないと決めた少女が怒った真意、友人の教え、正直に打ち明ける真実。
青春パートは中盤以降から徐々に面白くなる。
あれこれと詮索したところで、この物語のメインフレームは康一がクゥと触れ合うことで大きく成長した夏休みのお話なんだと実感。


最後までぶれることのない一貫した価値観を持ち続けているのは河童のクゥ。
彼の価値観は古い日本の価値観かも知れない。
最後、川の神様に狩りの許しを請うクゥの姿にいたく感銘を受けた。

≪追記するコーナー≫
水の描き方がスゴイ。驚くほどスゴイ。人物のアニメーションはある程度デフォルメされているが、この水の描き方は随分と本気だと思った。

■対象
子供から大人まで
■心残
母親が西田尚美だとは全く気付かず。あの声が好きなのに何故気付かなかったのか。

by unknown0083 | 2007-08-16 18:30 | 映画

<< 【GNO2】01Day 北米降... 【GNO2】00Day 第一次... >>