【映画】闇の子供たち
2008年 10月 01日
観ておかないと後悔しそうな映画だったので
▼感想
連鎖を断ち切る勇気はいったい誰が持つべきなのか
▼満足度
★★★★★☆☆ なかなか
▼あらすじ
日本新聞社のバンコク支局駐在の南部(江口洋介)は、東京本社からタイの臓器密売の調査を依頼される。同じころ、恵子(宮崎あおい)はボランティアとしてバンコクの社会福祉センターに到着する。彼女は所長から、最近顔を見せなくなったスラム街出身の少女の話を聞くが、実は彼女は父親に売り飛ばされていた。
▼コメント
”映画化することに意味があるなどと言うのは全くの詭弁であり、
問題は映画化してどうしたいのか、だ。”
どこで聞いたのかはもう忘れてしまったが、言葉だけは随分と印象に残っていたため、私はここまで書いた感想文の中でこういう表現を使うことをなるべく避けてきた。
いや、避ける必要などどこにもなかったので、もしかしたらつかっているかも知れないが、この言葉にはそう思わせるだけの力があったという事だ。
しかしこの映画にはあえてその表現を使いたいと思う。
「映像化され、無事上映に漕ぎ付けた事をありがたいと思いたい」
劇中江口洋介扮する南部は語る。
「うそじゃない!誰も知らなかっただけだ!」
まさに、世界中はそういう事態で成り立っているような気がする。
悲劇を生み続ける癌細胞を破壊するには、害虫を少し少し排除していくのでは間に合わないのは明白。ただ、癌細胞はひとつだけとは限らず大きく癒着し、場合によっては国というものにまで寄生している。
癌細胞が死滅するときは宿主が死滅するとき。ジャーナリストはそうならないように日々戦っている。
映画内ではこの問題点を主に「ブローカー」「利用者」「手放す者」の3つに絞っている。どちらかというとこの映画内では「利用者」が諸悪の根源だというようなジャーナリズムを感じたが、私にはその「利用者」こそが一番「商品」を大事に扱っているように思えた。たとえ自らの欲求の捌け口の対象にしているだけだとしても、他の二者よりは幾分かましのような気がしたのだ。
この映画の中で「商品」は常に”家畜以下”の扱いを受け、集団で檻に閉じ込められ、病気になればゴミ袋に入れられて捨てられる。命からがら家にたどり着いても、そこでは元いた場所以上の扱いの酷さを受ける。売られた子供は元の場所には戻れないが、それを本人たちは知らない。それゆえの悲劇が余すことなくこの映画では描かれている。
だから「商品」としての彼らに残された道は、逃げることでも、反抗することでもなく、ただ生き延びること。
それがどんなに苦しい道のりだったとしても。
生き延びた結果が「ブローカー」になる以外になかったとしても。
連鎖を食い止める方法は「手放す者」をなくす事。
おそらくそれが一番いい。
だが現実はそれほど甘くはない。
甘くはないが、おそらく方法はそれしかないのではないだろうか?
かつて日本にも「口減らし」という言葉があった。
しかし、今ではめっきり聞かなくなった。
それどころか今は少子化だと騒がれている。
時代とともに世界は変わるんだ。
きっと変わることができる。
その為には、現状何が行われているかをある程度知る必要があるだろう。
だからそれこそが、この映画が「映画化された意味」だと信じている。
≪追記するコーナー≫
「商品」とされた子供たちの間に仲間意識のようなものは感じられなかったが、きっとそういう世界なんだと理解した。なので、一人の少年の死に涙を流した少女の姿が忘れ難い記憶として残っている。
タイで臓器移植?とちょっと疑問に思ったがその部分はフィクションだと知って安心した。
だが、そういうことがシステムとして可能であることは確かだし、確実に行われていないという証拠もないというところに、この映画の恐ろしさを感じずにいられなかった。
主人公の顛末は、よーく考えると矛盾があったりするのだが、それは、彼がどうしてそういった行動に出たのか、もしくはどうして今までそれを思い出せずにいたのか、それがちょっとわかりづらかったせいでもあるのだが、もしかしたら「いろいろと考えろ」という監督からのメッセージかもしれないなっと受け止めることにした。
彼の息子がどうなったのかも気になった。
※銃声が関連しているのかな?
もう一方の主人公であるNGOサイドの話は、役者が宮崎あおいにも関わらずみていてちょっとイライラした。それはきっとキャラクター設定の問題で、私が「感情直結型・直情娘」は大嫌いだからだろう。それでミスっては大迷惑・・・むかしそういう役どころの女優がいたような気がするが思い出せず。
※このイライラは宮崎あおいだからこそこの程度ですんでいるのかもしれない。
自分探しの一環のような軽い気持ちでタイに来て、予想以上の現実に打ちひしがれながらも、最終的には地に足の着いた鋭い眼光になっていたのが印象的だった。
エンディングテーマ担当の桑田圭祐による自己完結型のファンタスティックな詩世界の歌が妙に癪にさわった。
アレさえなきゃとってもいい映画として良い余韻で会場を出られたものを・・・
気持ちよく会場を出られなかった分、満足度は気持ちよく2/3程にさせてもらった。
まあ何はともあれ、この映画を無事に観られたことを色々な人に感謝したい、そんな気分。
≪蛇足するコーナー≫
明らかにバカバカしくて笑ってしまうような仮説なのだが、気づいてしまった以上、どうしても書かざるを得なかったという話。
あまり本気にされると困るので、馬鹿だなコイツくらいに思ってほしい。
売られた子供が生きながらえた末路があのバイヤーの青年である事は確かで、その青年が日本のアニメの歌を売られた(もしくはさらわれた)子供たちに対して歌うシーンの真意は、自分もそうして売られてきたんだよという事だとするならば、彼を売りに出したのは日本人である可能性もあるということなんじゃないか?
個人的には”日本のアニメの見られる地域にいる誰か”と信じたいが、何しろ「今までの価値観を捨てないと真実は見られない」っていう映画だし・・・
気にし始めるとキリがないのであまり気にしないことにしよう・・・
▼状況
ユナイテッドシネマ前橋にて映画の日価格で鑑賞
▼対象
世界は平和だと、日本は平和だと信じる皆様へ
▼見所
ほぼ全編
by unknown0083 | 2008-10-01 18:45 | 映画