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【映画】ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破  

【映画】ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破_d0057574_2317373.jpg▼動機
だってエヴァだもん、そりゃ見たいでしょ?
▼感想
で、続きはいつになるのです?
▼満足度
★★★★★★☆ いいかも

▼あらすじ
北極のネルフ施設であるベタニアベースに、第3の使徒が現れた。エヴァンゲリオン仮設5号機で迎撃にあたるのは謎の少女、真希波・マリ・イラストリアス。仮設5号機は、体を欠損させながらも第3使徒を殲滅するが、使徒のコアを破壊した直後に自爆してしまう。自爆する直前に仮設5号機から脱出したマリは「自分の都合に大人を巻き込んでしまった」とつぶやくが、その言葉に後悔の色はない。




▼コメント
前作から約2年、当初の予定より遅れること約1年。
ついに「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」が公開された。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」にて、第壱話から第六話をメインに再構成した物語を見せてくれた新世紀版だったが、今回の「破」では第八話から第壱拾九話までの内容を、一度ぜーんぶぶっこわした上で色々足したり引いたり混ぜたりして、全く新しい「ヱヴァンゲリヲン」の世界にしてきた。

で、いつもであればその感想を書くところなのだが、この映画はどういうわけか事前情報をことごとくカットしているのが見て取れ、さらに言ってしまえば、あらすじ紹介さえネタバレといった感じでもあるため、内容については極力触れない形での感想文に徹したいと思う。

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知っている人も多いかもしれないが、「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメは俗に言う「おたく層」を否定している。自らの殻に閉じこもり自己完結した世界で生きていた主人公シンジは、まさに彼らを投影したもので、最終的にアニメ版もその後の完結編も、その自らの世界を破壊して、人と人との間にある世界や、他人の中にいる自分の姿を受け入れる事で終幕する。それが何を意味するかといえば、「おたく層」の精神的開放という事になるはずで、その後のインタビューなどからも、あの時点で庵野監督があの時点で望んだことだったはずなのだが・・・

これが何故か「おたく層」にはおろか「一般層」にまで大人気。
しかもより深度を深めドップリと浸かってしまう人間続出。
そしてこの刺激が忘れられず、更なる刺激を求めて彷徨う人間も・・・。

多分、庵野監督の誤算は、この不条理で情報の足りない物語について、彼らが自らの知識と想像力をもってそれを補完し、構築していくところまでは予想だにしなかったんじゃないだろうか?※という私も「零号機のコアは赤木ナオコ博士♪」とか想像していた口。同類同類

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そして、それをよしとしなかった監督は、だから今度は「エヴァンゲリオン」の存在を原作者自らの手で否定することで、再び「エヴァンゲリオン」という物語を自分の手のひらの上に戻し、「おたく層」の精神的開放を企もうとしたんじゃないだろうか?
「序」とその予告編以上の情報を一切与えずに、そこから想像させたそれぞれの世界と、実際に上映される世界との差異に、「ないものを想像する空しさ」のようなものを気付かせるつもりなんじゃないだろうか?
または「終わった物語には続きはなく、終わった時点で終わりなんだ」という事実を突きつけるつもりなんじゃないか?
とか、色々思っていたのだけれど・・・。

なんかね・・・
当たってる気がするのよね、コレ・・・

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「序」の予告編でのめがねっ娘(マリ)にしろ、小出しにした事前情報(惣流→式波)にしろ、「絶対に喰いつく!」という情報を事前に出しておいて、アレコレと想像させた上で、結果「何も教えない」という行動に出ることで、観客は絶対に一次製作者には勝てないんだよっと言う事実を突きつけているような気がする。

でも多分、これはやっぱりまた逆効果だ。

きっと世界には、
「式波になった理由は?」とか
「波で揃えた真意とは?」とか
「ネブカドネザルの鍵とは?」とか
「ミサトの階級はいつの間に上がったのか?」とか
「真希波・マリ・イラストリアスの正体は?」とか
「マークシックスは何で動いているのか?」とか
「8号機は誰が乗るのか?」とか
そういうことを真剣に考えている人が沢山いると思う。

でも、これって以前から変わらないエヴァンゲリオンの楽しみ方でもあると思う。
次週を待つだけだったアニメの世界に「想像する」「予想する」という楽しみを与えてくれたのは、紛れもなくこの作品。だから、これに関してはとても健全で正しい楽しみ方のひとつだと思う。
※なお私は「序」の段階で予想した「赤い海」の考察を、今回の「破」でコテンパンにやられたので、この先はあんまり考えないことにした。

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個人的にはアニメ版中盤以降で徐々に崩壊していく登場人物と世界観が大好きだったので、「序」の次回予告で流れた”そういう”兆候のない「破」の展開予想に、そういう人間としてちゃんと楽しめるかどうか心配だったのだが、ふたを開けてみれば、若干の雰囲気の違いはあれど明らかに”そういう”「ヱヴァンゲリヲン」だったという事がちょっとうれしかった。

以上、アニメ本放送の弐拾五話「終わる世界」をはじめて見た時からどっぷりとエヴァンゲリオンの世界にはまり、全話通して何度となく見てもなお、第弐拾五話が一番大好きな、ちょっとあたまのおかしい(とよく言われる)人間の感想。

≪追記するコーナー≫
アニメ版と比べ少しづつ変わっている登場人物。
自らの意思と強く持つようになったシンジ
他人を思いやる心を身に付けたアスカ
誰かのために何かをしようとするレイ
他人に道を示そうとするゲンドウ
さて、我々はどうだろうか?
一体この10年の間に我々は、何を身に付け、何を変え、何を置いてきたのだろう?
庵野秀明監督は、やはり我々を試しているような気がする。

≪蛇足するコーナー≫
序の感想に合わせる為、本文中に画像は使用しないことにした。
のだが、あんまり寂しいのでちょっと画像を入れてみることにした。

▼状況
ユナイテッドシネマ前橋にて映画の日価格で鑑賞
▼観客
若者およそ400名(何故か会社帰りと思わしき集団も・・・)

▼対象
好きな人
▼見所
CG技術とATフィールドの絶妙なマッチングと、さり気ないローソンと、
「裏コード、ザ・ビースト」
序の予告編で「足立花(ヤンキーとめがねちゃん)じゃん?」と思った真希波・マリ・イラストリアスだったが、動いているのを見たら、よりもっと足立花だったのでとても驚いたと同時に、とても楽しくなった。

▼関連
ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:序

by unknown0083 | 2009-07-01 20:45 | 映画

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